【灼熱の回廊】第3回:秋風吹く季節にて
いつのまにか、木枯らしが吹き、枯葉が足元に舞う季節になった。
あれだけ日本列島全体を悩ませた台風どもも、いまとなってはまるで幻であったような気がする。ここのところは毎日おだやかな小春日和が続き、平和な日々が一日、また一日と過ぎていく。
日曜日の今日は、自宅から遠く離れた山中キャンパスでPCサポートの仕事をしている。手馴れた感じで大学生に貸出パソコンを手渡しながら、半年前の母がなくなった日のことをぼんやり思い出していた。
あの日は父からメールで「母、危篤」の知らせが来た。そして、数分後にあっけなく「母、死亡」のメールがやってきた。僕は病院にかけつけることもできなければ、涙を流すこともできず、ひとり呆然と時の過ぎるのを待つのみだった。
あれから6ヶ月。窓の外の景色はあいかわらずやわらかな日差しがさんさんとキャンパスを照らしている。そう、あの5月のときと同じだ。唯一あの時と変わっているのは、木々を彩る紅葉のみ。その色が目に入って初めて、僕はもう半年が過ぎ去ったことをいまさらながら知った。
やっている仕事も、あれからなにもかわっていない。日曜日の大学は生徒の数も少なく、当然図書館のパソコンルームで勉強に励む生徒もまばらだ。仕事といっても、生徒から依頼を受けてPCを貸し出す作業ぐらいしかない。
このように、仕事の内容としてはなんら変わってはいないのだが、僕を取り巻く環境と僕自身の体調は、この半年で激変していた。
以前にも、あまりのストレスと自己流の抗鬱薬の減薬のせいで、4月に突発性難聴が発生し、ひどい耳詰まりと鼻水に悩まされ続けた。
そして、それがやっと3ヶ月の必死の投薬で耳が元通り聞こえるようになったころ、今度はアトピー性皮膚炎が発生し、その痛みとかゆみで七転八倒の苦しみを味わうことになった。
それが9月ごろにやっとおさまると、今度は「舌で口の中を触ると鉄の味がする」ようになり、味覚異常がつづくようになった。このような体調の不良に次々と襲われて、しばらくはとても落ち込んだ。ブログの再開は遅れに遅れ、やっと今日なんとか手をつけることが出来たような感じだ。
母が「突然いなくなって」から、僕は自分の人生の意味を考え始めることになった。
母は食べ物をのどに詰まらせてあっというまに天国に旅立ってしまった。そのことから、人の命について改めて考え始めた。
「今日と同じ明日が来る保障はどこにもない」。それが、母の死から学んだ人生の教訓めいたことのひとつだ。
明日の朝、いつものように目覚めることができるかは誰にもわからない。もしかしたら、今夜寝込んだまま目を覚まさないことになるのかもしれない。だから、自分の持ち時間の貴重さを一度知ったものならば、生き急がなければならない。自分のやりたくないことに自分の貴重な時間を使っている余裕はないのだ。
僕は昨日、自分の部屋の模様替えをした。どうしてもそうしたいという衝動に突き動かされてのことだった。実は当日、英会話講師の入社試験があったにもかかわらず、そんなこと全部すっかり忘れて、何もかもすっぽかしてただ模様替えに取り組んだ。意外とそんなことが、自分が今まで忘れていた「好きなことに熱中する」という大事なことを思い出させてくれたような気がする。
今まで失敗することと自分で納得のいく作品が出来ないことを恐れ、なんでもかんでも明日に先延ばししていた。でも、もうそんなことをしているヒマはない。自分の悪いクセである「考えに考えすぎて実行に移さない」傾向をいいかげん打ち壊すべきときだろう。
これからは、ただやってみる。考える前にやってみる。または走りながら考える。直感に従って行動する。それが長い目で見ると、自分が望む道を進むことになるのだ。