アスペルガー革命:遙かなる旅路〜発達障害に悩むすべての人へ〜

発達障害やうつとつきあい始めてはや20年、寛解と社会復帰を目指す50代おっさんフリーライターのブログです。

【人生の節目】今日、人生が変わった

今日は引き続き現場作業の日。昨日と違って天気も良かったので早起きもできて余裕で現地に到着できました。

しかも、作業自体がお昼前には終了してしまい、午後1時には解散となりました。

夜の家庭教師の仕事を前に都心ビル内の休憩室で休んでいたところ、携帯電話に1本の電話がかかってきました。それこそが「今日僕の人生を変えた出来事」だったのです。

● お礼の電話
それは、2月に指導が終了した高校生のお母さんからのものでした。

「息子が学年末試験を赤点無しで通過しました」とのご報告をくださったのです。僕の教えていた英語は、普段は欠点ぎりぎりの状態だったのが、90点近くの点数を取ることが出来たと、お母さんは喜んでおられました。

僕の家庭教師の仕事は、紹介会社を介して頂いている仕事なので、親御さんとの直接契約ではありません。それにもかかわらず、わざわざ僕の携帯にお礼の電話を下さるというのは、よほどのことでない限りありえないのです。

● 「教える」「情報を伝える」ということが自分の天職
このお礼の電話が自分にとっての「教える仕事の意味」を再確認させてくれました。

そして、学ぼうという気持ちのある人に(ない人に教える場合もありますが)必要な情報を伝えるということが、自分にとって人生を賭けて行うことだと認識出来ました。

これまで生活のために半ば渋々やっていた家庭教師の仕事ですが、自分にとって何よりも大きな存在であることを、きょう悟ったのでした。 

● これまでの苦悩と新しい人生の始まり
今まで、本当にいろいろな仕事を転々としてきました。大学を卒業してすぐに東京の大企業に就職し、けっこう高い給料も貰っていたのですが、海外営業職の仕事も東京都という土地柄にも馴染むことができず、すぐに関西に舞い戻ってしまいました。

その後の僕の人生は、正社員と派遣社員、アルバイトを行ったり来たりする、アップダウンの激しくとても消耗する経験ばかりでした。そういった暮らしのなかである日職場の人間関係の悩みからうつを発症し、二度と正規労働者の仕事はできなくなったのです。

うつ発症から15年たった今、ようやく抗鬱剤睡眠導入剤から少しずつ抜け出すことができるようになりました。そして、なぜこれまで「学校」での仕事場所や「教える」という仕事に縁があったのか、ようやく気づくことができました。「教える仕事」が、僕にとってのいわば北極星、すなわち人生の道標になったのです。

★★★

これまでなぜ物事がうまくいかなかったのかも、今日悟ることができました。僕に欠けていたのは「綿密な調査」、「万全の準備」「自分の個性を発揮する独自の行動」でした。

これからの1年間は、これらの行動指針を胸にまずは英語の資格取得(TOEIC900点、英検1級)のために、努力を積み重ねていこうと思っています。