アスペルガー革命:遙かなる旅路〜発達障害に悩むすべての人へ〜

発達障害やうつとつきあい始めてはや20年、寛解と社会復帰を目指す50代おっさんフリーライターのブログです。

「人生を賭けて求める目標」がわかった気がする

先日のブログで「今後はビジネス英語を教えていきたい」なんて書いてからまだ何日も日がたっていませんが、僕が自分自身の人生で本当に追い求めるべき目標は、ちょっと違っているなってことに気づいたんです。

●これまでは「問題解決型ワーク」に携わっていた

大学を卒業後、僕は自分の語学力を活かしてできる仕事をしたいと漠然と思い、なんとなく東京の電機メーカーの海外部門に就職したんです。

そこでは海外諸国との貿易取引を、OJT(On the Job Training)という形で仕事をやりながら直に学んでいきました。実際、仕事はハードでして、毎日21時ぐらいまでは普通に残業していました。仕事を覚えてからというものは、オフィスがあるビルディングが閉館になる23時ぎりぎりまで連日働くこともしょっちゅうでした。

こうした社会人一年目は色々と刺激も多い上にお給料も良くて、それなりに充実した日々だったと思います。新人にしては最速でエジプトへの海外出張にも行かせてもらえました。

● 面白みが見いだせなかった貿易の仕事

しかし、僕はほどなくその会社を退職してしまいます。かっこよくいえば「エジプトの照りつける太陽がまぶしすぎたから」でしょうか(笑)。

正直なところを打ち明けると、貿易の仕事は取引が一巡してしまうと以後は同じ書類処理の繰り返しで、それが僕にとっては何がおもしろいのかサッパリわかりませんでした。喜々として仕事に取り組んでいるようにみえる同期入社の連中や、先輩社員たちの気持ちが全く理解できなかったのです。

とはいえ、自分のキャリアとしては貿易営業の実務しかなかったので、しばらくは仕事の目標が何も見つからないまま、海外部門のある企業を転々としながら貿易の仕事を10年ほど続けることになったのでした。

● 「誰かの役に立てる仕事がしたい」とIT業界へ飛び込む 

そうした光の見えない毎日を続ける中で、コンピューターテクノロジーが社会に及ぼす影響が徐々に大きくなっていく時代に入っていきました。Windows95の爆発的なヒットや理系の人間でなくとも簡単に使いこなせるアプリケーションソフトが発売され、企業の業務も大きく様変わりしていきました。

そうした社会の雰囲気を見て「パソコン」に興味を持った僕は、思い切ってIT業界に飛び込んだのです。最初はまったく知識やキャリアがゼロのところからのスタートでした。

とにかく仕事を覚えて日銭を稼ぐため、一件いくらで仕事を請け負う「個人宅でのインターネットモデム設定作業」からやり始めました。

そうしているうちにどんどんIT業界は活気づいていき、僕もいろいろな仕事を請け負うなかで「ITヘルプデスク」を務められるまでに成長したのでした。

● ITサポートエンジニアとしての限界に気づく

そうこうしながら現在に至っているわけですが、かつてはIT業務のなかで花形的仕事だったITヘルプデスクも、僕にとっても社会的地位からいってもそれほど大きな意味を持たないものになってしまっていたのです。

時給単価が安く抑えられるようになったということもありますが、何よりも未来に光が見えなくなりました。個人の使うノートパソコンやインターネットの方が、企業の資産として業務で使用しているコンピュータおよび企業内ネットワークよりもはるかに使い勝手のよいものになってしまったのです。

もちろん、多くの企業では最新のタブレットPCスマートフォンを業務に取り入れたりしているので、そのサポートとしての需要もまだまだ多くあります。しかし、僕が個人的に魅力を感じ、一生食っていける仕事ではもはやなくなってしまったのは事実なんです。

● これからは「エンターテイメント型ワーク」を目指す

ITサポートの業務は、必要ではありますが一生を賭けて追い求める仕事ではないことがわかりました。それなら、自分に問いかけて問いかけていったい僕はどこへ行こうとしているのでしょうか。

それは、これからは「人を満足させる方向」ではなく、さらにその先をゆく「人を楽しませ、自分も楽しむ仕事」を求めるということです。

それなら、「英語を使った人を楽しませる仕事」とは何なのか、それをこれから探していこうと思っています。

プロが教える現場の英語通訳ガイドスキル

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